2012年8月24日金曜日

PROMETHEUS


プロメテウス
ギリシャ神話に登場する神
「先見の明を持つ者」「熟慮する者」の意
人類を作ったとされる
ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、新しい人間と神を区別しようと考えた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮に隠して胃袋に入れ、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しそうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しそうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるように計画していた。だが、ゼウスはプロメーテウスの考えを見抜き、不死の神々にふさわしい腐る事のない骨を選んだ。この時から人間は、肉や内臓のように死ねばすぐに腐ってなくなってしまう運命を持つようになった。

ゼウスはさらに人類から火を取り上げたが、プロメーテウスはヘーパイストスの作業場の炉の中にトウシンソウを入れて点火し、それを地上に持って来て人類に「火」を渡した。火を使えるようになった人類は、そこから生まれる文明をも手に入れることになった。

その行いに怒ったゼウスは、権力の神クラトスと暴力の神ビアーに命じてプロメーテウスをカウカソス山の山頂に張り付けにさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強いた。プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問が行われていた。
Wikipediaより

エイリアン』『ブレードランナー』といったSF映画の代表作品の監督であるリドリー・スコット監督が、1979年の『エイリアン』の前日譚として企画し、オリジナル作品として今年の6月に公開された映画『プロメテウス』。日本では海外から約3か月遅れ8月24日に公開。

“人類はどこから来たのか?”という人類の起源がテーマの壮大な作品としてプロモーション活動しているが、この作品はエイリアン・シリーズ前日譚が元であり、映画『エイリアン』を観ていないと深くは楽しめない。単体としてももちろん面白いのだが、人によっては、期待していた内容と違う、全然面白くない、気持ち悪い、という感想しか持たれないと思う。超個人的なことだが、幼少の頃、テレビでやっていた映画『エイリアン』で衝撃を受け、現在にいたるまで影響を受けている自分にとってはエイリアンは最重要作品の一つであるが故に、CMなどを見るたびになんだか悲しい気持ちになってしまう。

というわけで、『プロメテウス』を観る前に、エイリアン・シリーズを最低でも1作目、できれば全部観ることを強く勧めます。昔観たことあるという人も今一度復習するとよいと思います。ブルーレイも発売してますしね。

詳しい内容には触れませんが、以下『プロメテウス』の簡単な予備知識です。地球上のあちこちに存在する古代遺跡(現代科学でも説明がつかないものが多いですね)が共通のサインを持っており、それが宇宙のある惑星を示している。人類は進化論(教科書に載ってますが、現代では衰退してます。猿から人へ、は説明がつかなくなってます)で生まれたものではなく、その惑星に人類の祖先、または人類を創造した“エンジニア”がいるのではないか?ウェイランド・コーポレーションという大企業のCEOであるピーター・ウェイランドは、その謎の解明するために宇宙船プロメテウス号に出資し問題の惑星LV-233へ向かわせる。

まず、映画『エイリアン』の舞台が異なります。映画『エイリアン』ではLV-426が舞台です。映画『エイリアン』における最大の謎とされてきたスペースジョッキーと呼ばれるものが映画『プロメテウス』にも登場します(但し、同じものではありません)。エイリアン・シリーズでウェイランド湯谷(ユタニ)社という日系企業&アンドロイドがエイリアンを地球に持ち帰ろうという黒い目的がありますが、映画『プロメテウス』では合併前のウェイランド・コーポレーションになってます。

2012 ウェイランド社設立(11月10日)
2023 ピーター・ウェイランドの講演(★日本語訳
2089 映画『プロメテウス』
2XXX ウェイランドとユタニ合併
2092 エレン・リプリー誕生
2122 映画『エイリアン
2157 ウェイランドユタニ社がLV-426に開拓者派遣
2179 映画『エイリアン2』
2270 映画『エイリアン3』
24XX ウェイランドユタニ倒産
2470 映画『エイリアン4』

映画『プロメテウス』は、エイリアン・シリーズ前日譚ということですが、おそらくシリーズ化し(続編の製作はすでに決定してます)、最終的にエイリアン・シリーズに繋がるのではないかと思います。

映画『プロメテウス』様々な要素が詰まった深い映画です。古代文明の謎や人類の起源、宇宙などに興味ある人でエイリアン・シリーズ好きな人はどっぷりはまってしまう、ある意味マニア向け映画です。リドリー・スコット監督はエイリアン・シリーズでは1作目のみの監督なのですが、映画『プロメテウス』ではエイリアン・シリーズの各作品へのオマージュというか知っている人は思わずニヤっとしてしまうシーンもちりばめられています。

なお、のちに発売されるBlu-ray/DVDには劇場版からカットされた映像が大量に追加されるそうです。
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2012年8月22日水曜日

THE DARK KNIGHT RISES


クリストファー・ノーラン監督によるバットマンシリーズの最終章となるTHE DARK KNIGHT RISES。素晴らしくかつ凄い作品だった。バットマンビギンズ、ダークナイトから続く善と悪とは何か?という普遍的なテーマは変わっていないのだが、最終話では、現在の世界の情勢を随所に盛り込み、ヒーローの意義、そして社会とは?さらには人間とは何か?ということについての監督なりの回答を提示していると思う。

恐らく言いにくいから、という理由で邦題は“ライジズ”でなく“ライジング”になっているが、この映画は“rise”が重要で、ライジングでなくライズでないとダメだと思う。 なお、3部作のラストであるので、バットマン・ビギンズダークナイトをしっかり観た上での鑑賞が望ましい。というか、そうでないと意味がない。

内容については特に触れないが、思ったことを少し書いてみる。強引な部分やまとまっていないところもあるかもしれないがご容赦下さい。

世の中には本来善悪なんてものは存在しない。人が生活する場所・国におけるルールに沿うか沿わないかでしかない。人も、いい人、悪い人には分けられない。他人による見方でしかなく見方によればどっちにも見えうる。基本的に人は他人からよく思われたいものだろう。自己犠牲を払って人を救う、助ける行為、それが英雄視されるかどうかは、感情論を抜きにすれば、その行為を評価する人としない人の数の差でしかないのかもしれない。そしてその評価は、時として入れ替わる。プラスとマイナス、陰と陽、正と悪、すべては表裏一体である。人はどうしても、片方ばかりを望む。考えることは苦しいことだから誰かに答えを求めがちである。それは誰もが持つ心の弱さであり、その弱さが犯罪を犯すきっかけでもあり社会の歪みの根源ともいえる。

このバットマン・シリーズは、主人公ブルース・ウェインがの己の弱さの克服し、バットマンとなり(バットマン・ビギンズ)、大きな力を持つが故に生じてしまう悪との対決とさらなる葛藤、そして大きな決断(ダークナイト)、そしてバットマンの復活~解放までの物語である。そして主要な登場人物のストーリーにもそれぞれ意味がある。人間だれもが抱える内なる悩みを登場人物に重ね合わせることができるはずだ。

英雄とは何なのかーすべての人が英雄になれるという、どこにでもあるありふれたことと言ってしまえばそれまでだが、この作品では新しい形で見せてくれている。超越した存在、スーパースターがメインのようなヒーローものとは明らかに描き方が違う。人間臭いというか、ありのままを見せてくれる。スーパーヒーローなのに普通の人間っぽさがにじみ出ている。悪役にしても同じである。それがゆえに、ただの娯楽映画としてだけ観ると、脚本がグダグダに思えたり、フィクションなのに現実的におかしいという意味のないアラが気になったり(複数の進行を同時にみせるノーラン監督の見せ方は本当に秀逸!)、前作のジョーカーのインパクトと比較しつまらないという見方をする人が恐らく多いかもしれない。ゴッサムシティもニューヨークまんまで不満という人もいるかも。しかし、この映画は、そんなこと(というと語弊あるかもしれないが)は気にならないくらい、とにかく内容が素晴らしい。ダークナイトが世界で記録的なヒットしたのに日本ではイマイチだったのは、やはり映画の見方というか、まあ日本の社会上仕方のないことだろう。例えばダークナイトをアメリカとその軍事力、戦争、それに付随する社会問題と自然と重ね合わせて観ることは普通には無理がある。日本には自衛隊があり、実際かなり強力な軍事力を有しているが、敗戦国、原爆、核兵器はもっていない(ということになっている)、平和な国というイメージを多くの人が持つが故にリアリティがないからだ。

しかし2011年を経て、2012年を迎えいわば指導者(表立った)不在ともいえる現代社会において意識が変わった人は多い。それは“rise”という動詞が実にしっくりくる。THE DARK KNIGHT RISESに社会、人、自分自身を重ね合わせて、考えさせられる人は以前よりはきっと増えていると思う。一人一人が自身の力で考えて自己を高め行動する。既存の常識、信じてきたものを再考する。それぞれが筋の通った考えを持つ、そこに行き着こうと努力すれば社会、世界は変わるはず。そんなことまで思わされた作品でした。

深いテーマをもった素晴らしい作品は、世の中にはたくさんある。芸術は多くの人に伝わらないと意味がない。このクリストファー・ノーラン監督によるバットマンシリーズ3部作の凄いところは、世界中で多くの人が楽しませるエンターテインメントでありながらシリアスかつディープなテーマを持つという絶妙なバランスだと思う。ハリウッドもすてたもんじゃない。そして3部作ものの映画って・・・どうしても1もしくは2が面白くて3作目でガッカリするというパターンが多い気がしますが、このシリーズは順番に上がっていきます。人気ではダークナイトでしょうけどね。

映画でも音楽でも絵画でもなんでもそうだと思うのだが、作品を自分のものにできるかできないか・・・より素晴らしい作品を自分だけのものにしたい、そのためには己を磨くこと、楽しんで精進していきたいものです。